56章 変われど解けぬ者
比良さんの店から外に出て少し歩けば人に遇った。
というか、遭遇した。曲がり角の先でばったりと。
「ああ、パクティ。何してるの」
街中ならまだしも、比良さんの店は珍しいことに住宅街の中にあるのよ。
食料品の買出しをするなら此処からは南方面へ徒歩片道十五分。
娯楽施設ならゲームセンターとカラオケ屋が南西の駅前で片道十分、自転車でなら。
生活関係の補充にしては、両手が空いてるのはまだ帰りじゃないから?
遊びに出かけてるとは思えないわね。そういうのは自転車じゃないと辛い距離があるし。
まあ、何やっていようと構わないけどね。そんなことより今は光奈のことだわ。
「……何だ?」
特に大した返事を求めていたわけでもなく話を振っただけだったんだけど。
こいつがこんな無愛想な言葉を返すだなんて、思わなかった。
今までになく、まともな表情だった。顔を覘いてみると、眉間に少し皺が寄ってる。
顔にはいつものへらへらしてるような笑いはない。そんな余裕もないってことかしら?
「あんた大丈夫? 熱でもあるわけ?」
ぼんやりしてて声が聞き取れなかったから単に聞き返したってことも有り得るわね。
だけど、こいつなら何かとこじつけて引き止められそうだわ。さっさと帰りましょう。
「いや、頭が……少し……っう」
ああやっぱり。さっきまでぼんやりしてただけね。反応が遅かったから、もしかしたら……って何を心配してるのよあたしは。
別に心配する程の仲でもないのに。むしろあたしは嫌ってるの、こんな奴。もう、敵意識とかそんなものはなくなったけど。
敵対者なのかどうかわからなくなってきたけど、何もしてこないし。警戒するのは体力の浪費にしかならない、そう割り切っただけ。
「そういえば、今日は銀じゃなくてオレンジなのね」
「は?」
「髪の色の事よ。あんたってオレンジだったり銀だったりするじゃない」
別に敵意がないならこれくらいの会話をするのに抵抗ないわね。
だからこの際、こいつに偶然出くわすたびに思ってたことを聞いてみることにした。
初めて出くわした頃はオレンジ色をしてたのに、最近は銀髪だった。
それがまた今日は銀髪からオレンジに戻ってる。なんで色を変えるのかしら。何色が地毛なの?
日本人どころか、この世界の生まれじゃないだろうし。あっちの生まれなら赤も緑も変じゃないのよね。
こんなにコロコロと髪の色が変化してると、こいつの地毛はオレンジ色でも銀色でもない可能性もありそう。
一緒にいたカフィは茶色だから、こいつもそうなのかしらね。出身が同じなら容姿も近そうだけど。
「ああ……何故だろうな。俺も知らない」
「え、あんたが自分で染めてるんじゃないの?」
知らないって、自分で染めようと思って染めてるんじゃないわけ?
それにさっきから会話が途切れ途切れになってて、どうにもおかしいわね。
顔に出にくいだけで相当辛いのを我慢してるのかしら? 目が虚ろになってるように見える。
けど、こいつが頭痛に悩まされるとこなんて見当つかないわよ。悩みごとなんて無さそうだけど。
顔に出さないだけでこいつも人並みに思うところがあるのかしらね。ならむしろ、それを出して普通の人になって欲しいものね。
「違う……これは俺の意志じゃない」
微かな音をたててパクティの髪がざわめいた。幽霊が俯いた後、何かしようとする時みたいに。
風になびいているわけじゃない。パクティの髪はざわめきながら、色を変えていく。
オレンジの色が抜けたと思えば一度に褐色にまで濃くなり、いきなり白濁して灰色に移行した。
「戒め。これは、呪い。そのせいで俺は……」
灰色の、銀色の髪から色が抜けてそうなったら少しづつオレンジの色が強くなる。
そしてまた髪の色はオレンジ色から銀色へ、変わり続けていく。
パクティは頭を両手で抱えて地面に膝をついた。あたしは何が起きてるのか理解できない。
とりあえず膝をついたパクティと目線を合わせる為に腰をかがめる。そうしたところで目は合わないけど。
呻き声をあげながら、それでも言葉を捻り出そうとしている人間を見下ろしたままではいられないもの。
「それで、どうしたの?」
「親父は、父さんじゃない。あれが……」
あたしは続きを促し、耳を傾けた。こんな症状はよく見かけるから。
土地の霊障に当てられた人や不当に謗りを受けた人、自ら生んだ業に気づかず苦しんでいる人も。
身に受けた呪いが解けそうになった時に自分の頭や体を抱える姿を、小さい頃から見てきた。
呪いっていうのは戒めの一種。戒めとは自分で掛けるものだけど、呪いは他人が掛けるもの。
自分で自分を呪うことはできない。もし自分に術を掛けるなら、符や依代といった媒体を介す必要があるわ。
パクティの言葉を真実とするなら、今現在パクティは呪いを受けた身だということ。
状況からしてこいつの父親、若しくは身近な存在。
でも、髪の色を変えるだけの呪いなんてない。色の変化は副作用に過ぎないものだから。
こいつに掛けられてる呪いのタイプと戒められる原因は何?
それがおそらく、次の言葉でわかる。
「パクティ? 大丈夫なの。親は親でしょう、なのにどうして?」
なかなか喋らない。不意に頭を抱えていた手を離して顔をあげた。そして言うには。
「……あんたは、誰なんだ?」
あたしを映し出す双眸は、焦点を定めない。
少しかかった前髪はオレンジ色をしていて、色の変化は止まっていた。
「そう。わかった」
あたしは立ち上がり、目を閉じて数秒で結論をまとめた。
こいつにかけられた呪いはその言葉でわかった。こいつにかけられた呪いは記憶の忘却。
それなら身近な存在が呪いをかけたところにも納得がいく。嫌な記憶を封印させたかったってとこね。
何が嫌なのか、思いだされると困るという第三者の陰謀なのか。思い出すと悩むという当人のための配慮なのか。
どちらなのかもわからないけど、結果から事実を導き出すことは出来た。
呪いが完全に解ける寸前、予め巡らせてあった二重の呪いが発動したのね。
思い出しかけたところで、それを再び忘れさせるように。これはその反動かしら?
髪の色が変化するのは記憶忘却の呪いが解け掛かっているというサイン、施術者がすぐ気付けるように。
でも、完全に思いだす前に何らかのキーアクションやキーワードを使えば術の補修が出来るんだわ。
そして、その何かが使われて術の強化が間に合った。だから、直前までの思考も対話していた存在も忘れる。
でないと、矛盾が生じるから。捩れを一つも残さないくらいに強力な呪いなのね。
だけど、あたしの存在までゼロになってることにそれで納得が行くわけじゃない。
お前は誰だ。そうパクティは呟いた。あたしのことなんて一つも知らないとでも言うように。
どうして俺の目の前にお前がいるんだ。そう不思議がるなら、整合性あるんだけどね。
やっぱり、おかしいわ。あたしがこいつと最初に顔を合わせたのは去年の秋。
さすがにそんな昔の記憶まで忘れさせるなんて出来ないわ。術の補修くらいでは数分前の矛盾を掻き消すのが限界よ。
矛盾という点から考えても辻褄が合わない。出会って数ヶ月経ってもこいつはあたしのことを覚えていた。
出会うだけでも忘却の呪いが解けてしまうなら、次の日までにはその相手のことを忘れるはずだもの。
それに、呪いは後から条件を増やすことも減らすことも出来ない。効力の強いものほど、制約は絶対的だから。
考えを突きつめていくほど、施術者の抱える呪った相手への想いの丈を知らされるのはいつものこと。
事情も原因も望みも、見えてこないのに。愛情にしろ憎悪にしろ、行き過ぎた感情は強く対象を絡めとる。
だから、ここまで。術者はここまでして、強く願っている。
解除者が対峙する呪いの矛盾は、施術者が対象者へ向ける想いの強さに比例して難解になる。
拒絶されているのよ、第三者である解除者は。この場合の施術者は不明、対象者はパクティ、解除者があたし。
施術者は大きな矛盾を明示して、私の掛けた呪いを勝手に消すなと叫んでる。
対象者は自身の呪いを解くに足るだけの条件をあたしに提示していない。
だから、ここまで。施術者の強い想いにあたしは踏み込むことが出来ない。
「あたしには関係のないことだから、答えられないわ」
思い出させたくないなら。
あたしは無理に思い出させる事なんてしない。
力づくでそんなことしてたら均衡が崩れる。小さなことが引き金に起こる可能性なんてよくあるもの。
何が起きても責任を負える覚悟もないのなら、手出しはしちゃいけない。何を知ってしまっても。
「気をつけなさいよ、車には」
そう言ってあたしは去ろうとした。こういう時にはこの言葉で誤魔化しておけば良いから。
だけど、手首を掴まれた。あたしはふり返って、掴んだ本人を見上げる。
パクティは頭を痛めているような様子もなく、じっとあたしを見つめ返した。
「放しなさい」
藤色の瞳から目をそらさずにあたしは言い放った。
施術者が思い出せたくないって願ってるなら、思い出せてはいけない。
思い出すということはけして良いことばかりじゃないわ。
だから、思い出させるきっかけを作る前にあたしは去りたい。
「どうしてそんな顔をしてるんだ?」
「手を無言で掴まれたからよ」
「悲しそうにみえる」
「職業柄の性質。ほっといて」
そう言うと、手を放された。別に何も悲しいことなんてないわよ。
あたしは家への帰路、ふり返ることはなかったし、誰かに腕をつかまれることもなかった。
悲しそうだと言われた意味はわからずじまいだったけど。鏡を覗きこむことは、しないわ。
無意味だから。自分の顔なんて見なくても表情なんて感情で動くものよ、見るまでもないわ。
ただ、あいつは記憶をなくしても……やっぱり敵らしくはならなかったみたいね。
きっと、カフィが迎えに来るわ。だからパクティの心配はいらない。
あたしの出る幕じゃないことだわ、きっと。あのことは忘れましょう。
霊能力者だからこそ、口を出してはいけない。
胡散臭がられる仕事が家業だから、それがあたしの力だから。
現状の均衡はそのままに。本人が覚悟し望むまで介入は許されない。
叩きこまれた親からの教えには背けない。たとえそれが自分の利益に繋がるとしても。
自分が引き抜いた一つの欠片が何かを支える重要な柱かもしれない。
責任をとろうにもとれない事態には、なるべく足を突っ込んじゃいけないのよ。
でも、どれだけ家訓を頭の中で復唱しようと後ろ髪を引かれる思いは消せなかった。
仕事と割り切ろうとする姿勢と、知ってる顔を見捨てるような行為に罪悪感。
友人だとか敵だとか、好きとか嫌いなんてことに現を抜かせる場面じゃなかったのよ。
だけど、どうして。罪悪感を感じることなんて滅多にないのに。
本人の背景なんかで動揺しない訓練も積んできたでしょう?
どうして、あたしはこんなに自分の身が痛く思えるの。
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